『死の黙劇』を読み進めている

半分くらい読んだ。読みやすいしなかなか面白い。トリックも犯人もだいたい途中で見当がつくものの、作者もそれは承知の上だろう。記述のフェアさを貫こうとすると、やはり読者にもうっすら真相がわかるようになってしまうのだと思う。

ミステリ(本格的な推理小説)は一応、読者に対してフェアであらねばならないということになっているけれど、正直なところ、アンフェアをいかにフェアと見せかけるかが肝なのではないかと思っている。それが言いすぎなら、ミステリのフェアさはフェアではあっても限りなくアンフェアに近い「フェア」だ。重要なのは、謎解きの最中に作者が「ほら、手がかりはこんなにはっきり書いてあったでしょう?」という顔をした時、読者に「ちぇっ、言われてみりゃそうだ!」と思わせられるかどうか(だけ)なのではないか。

そういう意味では、『死の黙劇』の収録作は(そして解説を読むと、恐らく山沢晴雄のミステリ全般は)清々しいフェアネスが貫き通されていて、作者のこだわりとともにゆったりした余裕を感じて微笑ましい。

「(前略)……だから、警察では(そして読者も!)、○○が犯人だということは、すぐにピンときたけれど、方法がわからない。ところが……(中略)……ことがわかったから、謎はいっぺんに解けたのです」

探偵がこんな台詞を言う(※伏字は引用者)。「(そして読者も!)」ですよ。読んでいてにっこりしてしまう。

ところで……

私が一番好きなミステリ作家はアガサ・クリスティなので、「ほぉ〜ら、手がかりはこんなにはっきり書いてあったでしょう?」という顔をされるのも嫌いじゃありません(うまく騙してくれるならむしろ好き)。