無題

たまにはブログくらい書こうかと思うものの、どうもブログは一つの「記事」としてちゃんとまとまった、有益な、アクセス数を稼げる文章を上げないといけないような圧力を感じて(勝手に感じているだけかもしれない)、書く気が起きない。

はてなブログではTwitterのいいねみたいに気軽に星を送ってもらえるし、注目記事はキャッチフレーズつきでトップページに載せてもらえたりもする。しかしそれは裏を返せば、自分の記事がいかに注目されていないかも可視化されるということだ。といって、別にこのブログに注目してほしいわけではない。でも星がついたら「あっ、読んでもらえている」と嬉しくはなるだろう。それが続いたら? 「今回は星をたくさんもらえた!」「この記事はあまり星がつかなかった……みんな興味のない話題なんだな」「この記事は受けるはず……」とだんだん自分の書きたいことより他人の関心を気にするようになってしまうだろう。(これははてなブログの問題というよりは私の性格の問題とも言えるが、私の性格だけに問題があるのかは定かでない)

私たちの人生や生活や思考はコンテンツではないということについて考えていた。現代では誰もが自分の断片や自分自身をコンテンツにできる。SNSはそうするように仕向ける。だが、私たちの人生や生活や思考は他人を面白がらせるために存在しているわけではない(ちなみに、私は自分自身をコンテンツにするべきではないと言っているのではない)。私の人生や生活や思考は、もし私がその気になれば(そして才能に恵まれていれば)面白いコンテンツに加工して他人に提供できるだろう。その行為が生む益ももしかしたら少なくないだろう。だがそれ以前に、あるいはそれとは別に、私の人生や思考は私だけが体験している私自身のものであり、私にとって唯一無二のものであり、そこに他人の価値判断が介在する余地はない。他人にとって、つまりコンテンツとして面白いかどうかとは全くの別次元で、私の人生は存在し、私はそこに生きている。